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2011年3月

2011年3月28日 (月)

本日の停電が終わった(平成23年3月28日更新)

「計画停電では、同じグループでも停電する地域としない地域があり、各グループで停電した世帯数にも差が出ている。東京23区の大部分が対象外で、停電となった住民や企業からは「不公平だ」との声や、実際に停電するかどうか「もっと早く知りたい」と、不満の声も上がっている。  東京23区の取り扱いについて、東電は「鉄道などのインフラ(社会基盤)が集中していることもあり、対象外とした」として、4月末をめどに終える見込みの計画停電では対象に含めない考えだ。ただ、春以上に需給の逼迫(ひっぱく)が予想される夏場に計画停電を行う場合、政府や日本銀行などの中枢機関が集中する千代田、中央、港の3区は引き続き対象外となるが、他の区は停電対象に含める方針を示している。

 海江田経済産業相も23日の記者会見で、「23区全部とは言わないが、住宅地は(対象に)出来ないか」と述べた。 一方、停電する時間や地区をより迅速で正確に伝えるため、東電は、発表のタイミングを順次早めたり、停電地区を細分化して公表したりするなど対応を進めている。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110324-00000137-yom-soci/l

 本日の停電が終わった。正直、もう昼間はやらないと思っていた。12時半くらいに終わると思っていたが、11時半くらいには電気がきていた。いつきたのか。気づかなかった。

 この頃は、東京23区や東電の態度でむっと来ることがある。私は、電気代に地域差があるかは、知らないが、停電のない地域は、一定以上の電気を使用したら(停電のある地域の平均値以上)割高料金にすべきと考えるようになった。

 明らかに、節電意識が違うからである。別に電気料金を安くしたいから、節電をしている分けではない。節電のない地域に電気を供給するために節電をしている分けでもない。国家的危機であるから協力しているのである。今も肌寒いが厚着をして耐えている。東電の対応についても以前は想定に範囲外と説明を受けていたので仕方がないと考えていたが、数年前から危険性を警告を受けていたにもかからわらず対応をしていなかったことが分かった(http://www.jcp-fukushima-pref.jp/seisaku/2007/20070724_02.htm)。論外である。  

 東電の役員の役員の大部分は、どうせ安全なところにいるのだろう。社長も逃げているし。役員報酬はどうなっているのか。黙殺した責任はあまりにも重い。

司法書士 藤村和也 http://www.kfsj.net

2011年3月23日 (水)

震災の影響②(平成23年3月23日更新)

3月26日の北本学習センターで、震災後はじめて卓球をしました。練習は、ちっともしていなかったので、本当に気分転換と運動のためでした。関心したのは、練習場に電気がついていなかったことです。節電してるな。本当にエコだと思いました。

 3月27日直前まで、でることをためらっていましたが、豊島区の巣鴨体育館に卓球の試合に行ってきました(当然、電車です)。本当に着くのか疑問でしたが、特に問題はありませんでした。納得のいくプレーはできませんでしたが、気分転換にはなりました。正直、こいつ練習しまくってるというヤツもいました。これが、東京23区です。

 どうやら、東京23区のほとんどは計画停電がないみたいです。巣鴨体育館は、電気をつけなくとも十分に明るかったです(試合開始前はついていませんでした)。私は、つかないでやるのだろうと考えていました。しかし、試合が始まると電気がつきました。正直むっとしました。さらに、トイレの電気もつきっぱなしです。私は、行く度に消しました。節電の意識の薄弱さに頭にきました。計画停電を実感していないことがありありです。

 インターネット上で、管首相の自宅周辺では、計画停電をしていないとの情報を得ました。正直あきれました。さすがに自宅に帰っていないだろうし、計画停電中でも携帯電話は通じるのです。

 上記でも触れましたが、今回の停電で、停電中でも、携帯電話が使用できる。また、転送電話を携帯にしておけば停電中でも携帯電話を使用できることが分かりました。さらに、一歩進めて、転送電話にしておけば、電話そのものの電源をはずしても問題ないことが分かりました。どうせ停電で電話の時間は狂うので、事務所から帰るときは、パソコンを含め、電話事態の待機電力もカットしています。

 ルーターの電源も切りたかったのですが、これを切るとファックスが受信できなくなるのであきらめました。

 司法書士 藤村和也 http://www.kfsj.net

2011年3月22日 (火)

震災の影響①(平成23年3月22日更新)

被災された皆様には心からお見舞い申し上げます。さて、私の事務所(ほとんど自分だけですが)は、幸いにしてほとんど無傷でした。東日本大震災の最初のおおきな地震のときは、事務所で、お客様と相談をしていました。地震発生から数秒後にこれはまずいと思い、お客様と一緒に事務所の外にでました。すごく電線が激しく揺れていました。近所で大きな音がしました。ブッロク塀が激しく損傷していました。

 揺れがおさまったので、事務所に入って状況把握のためにテレビをつけましたが、つきません。停電していました。お客様には、仕事にならないので帰ってもらいました。水道も止まっていました。これは、人生初めての経験で、これはまずいと強く感じました(この段階では状況はまったく分りませんでした)。余震が何度もくるので、耐震性を高める目的で(効果は分りません)、雨戸をしめました。水筒(魔法瓶)があったので、ポットに入っていたお湯を入れました。午後4時くらいに水筒、ペットボトルの水、アクエリアスを事務所から帰宅しました。信号がついていませんでした。これは、危険と思いました。二酸化酸素を出し続ける自動車について、こんなときでも動くと関心しました(今は、ガソリンの給油が困難であるので、逆の意味で困惑しています)。

 電話は当然つながりません。3月13日に携帯電話に電話があったときはつながるんだと思いました。自宅では、携帯のラジオがあり、音声から東北の状況がいかにひどいから分かってきました。音声からでしたが、阪神大震災クラスの被害がでていることは容易に推測できました。当日の夕方には、水道は復旧しました。夜になり、真っ暗の中で、懐中電燈とラジオだけが活躍していました。特に、ラジオは、同じことの繰り返しでしたが、心理的な安心感はあったとおもいます。晩御飯は、冷蔵庫にあった作ってあったチャーハンその他せんべいをぱりぱり食べました。その日は、何もできないので、9時くらいには寝室に入りました。幸い、自宅には石油ストーブがあったので、火を最小限にして暖をとりました。夜中の3時くらいにたまたま起きると電気が復旧していたので、落ちたテレビ(地震で私の部屋のテレビは床に落ちました。)をつなげてスイッチを入れました(幸い無傷でした)。悲惨な状況が目に入ってきました。想像を超えるものでした。

 計画停電が始まるとその悲惨さがより実感されるようになりました。節電、節電です。事務所では、冷蔵庫、ポットのコンセントをはずしました。今では、水筒にお湯を入れて使用しています。待機電力もほとんどカットしています。ファックスがあるので、複合機とルーターくらいです(それでも一時期ファックスも受信できていませんでした)。ついには、ガソリンの給油も困難なので、自転車通勤、自転車での行動をしています。これが、一番きついです。卓球の練習もこれが根本的な原因でほとんどできていません。

  暖房も事務所では、ほとんど使用していないので、事務所にいるときは、厚着をしてすごしています(事務所に来る方は、ジャージでいることがありますので、了承お願い致します)。

  司法書士 藤村和也 http://www.kfsj.net

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