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2017年4月

2017年4月27日 (木)

体が重く感じる

 体が重く感じる。間食をしすぎなのだろう。アスリエでX55ファイドウと周一回やっているがいまいち。AMTもやっているし、6分だけどインターバルトレーニングもやっている。間食が原因だ。絶対に。

63キロくらいまで絞るのが良いのかも知れない。パワーカーディオを日曜日の夕方にやっていたときは、比較的このくらいを維持できていたけど。時間が移動したことと参加しているヤツに問題があるのででるのを辞めた。卓球優先のためでることはない。

まずは、卓球。これを納得のいくレベルにもっていくことが重要。これができれば、日々充実するだろう。

でも正直。一人はキツイ。FBSにもでたが、参加しているメンバーが笑わせてくれるので結構、楽しかった。

いままでの自分の殻を破る勇気がほしいと思う

司法書士 藤村和也

2017年4月20日 (木)

血税が無駄に使われた

 本日、鴻巣市役所で相談しに行きました。一件しか入っていませんでした。時間になっても来ません。とうとう連絡もなしに来ませんでした。

本日、来なかった方に言いたい。あなたの非常識な行動によって血税が無駄に使われた。午後12時30分くらいまでに電話連絡でもあればおそらく相談に行かなくて、血税は使われなかったと思う。

電話一本くらいいれなさいそう言いたい。

藤村和也

2017年4月18日 (火)

生活保護世帯の成年後見人を受任して

 被後見人からの報酬が無報酬の案件を受任し、この度、辞任して親族成年後見人に引き継いだ。推薦依頼の段階から無報酬は覚悟していた。ただ、当初の難しい事務をすれば親族成年後見人に引き継げばよいだろうと考えていた。

リーガルサポートからの推薦依頼は地元である限り、原則受任している。報酬が良いもののあれば、低いものもある。トータルで受任しているので無報酬でも受ける。

後見報酬としては、基金があるのでこれを利用して申請した。もらえるかは分からないが、、、。

親族成年後見人に引き継いだ後に、「いい人がいたら(仕事の)、紹介して下さい」と言った。

司法書士 藤村和也

http://www.kfsj.net

2017年4月13日 (木)

笑顔がいいね

 作り笑顔ばっかり1月中旬からやっていたら顔に笑顔がへばりついてしまった。私は、自分の笑顔が好きではない。アスリエなんて辞めちまえと毎日思っていた時期に関係を改善することが始まりだった。

 当時から帰るときには「お疲れ」と言ったり、笑顔で挨拶するように意識した。「笑顔がいいね」とか言ったりしていた。アスリエに行く前の自分では絶対に言うことはなかった言葉だ。意識していなくても出てくるようになってしまった。

 先日もスーツでアスリエに言ったら、「いつもと違うんですね」と言われたので、「かっこいい?」と聞いてしまいました。こんな自分はかつてなかった。こんな冗談をいうようになってしまった。いいかどうかは分からない。

 でも、この頃は、「笑顔がいいね」は言えなくなった。

 20年前の自分をもう超えないといけないと思い始めている。

藤村和也

2017年4月12日 (水)

桜の季節が終わるとき

 4月10日に上野に出張に行きました。桜の季節だったので、帰りに上野公園に桜を見に行きました。鴻巣とは違って、もう満開とはいえない状況でした。残念でした。世界遺産の美術館にいったら、休館でした。

 鴻巣でも満開の時期はすぎました。あー今年も桜は終わりだなと感じます。毎年のことだけど桜の季節は特別です。

 「幸せ太り」とか言っている人がいました。幸せってなんだろうって思います。仕事だけを見ればそれはそれで自分も幸せなのかも知れません。

司法書士 藤村和也 

http://www.kfsj.net

2017年4月 7日 (金)

鍵盤断裂手術を経験して⑥ 競技復帰

211日卓球を再開した。正直不安でいっぱいだっ 

たが、卓球仲間は受け入れてくれた。思ったよりも悪くなかった。ただ、右手に違和感があった。

 

 35日「こうのとり卓球大会」に参加した。地元の試合だ。試合をしながら、以前だったら絶対に負けないような人負けた。予選3位。ふがいないので途中外出してアスリエで60キロのベンチプレスをして、戻った。これが良かったのか3位トーナメントベスト4だった。ロビングの球を戻りが遅くてうてなかったのが特にショックだった。

 

 この日を境にトレーングを強化した。見た目はもちろん中身も変わった。

 

 しかしながら、326日の北本市の「かばざくら卓球大会」では、予選2位、2位トーナメント1回戦敗退だった。ただ、打球感は良かった。

用具変更はためらっていた。打球感の変更等があるとだめだと思っていたからだ。しかし現状全然だめだった。多分、使っていなかったのでラケットが湿気で弾まなくなったのと筋力の低下で重い用具を使えていないことが原因だと思った。総重量で180グラム近かった。

 

 ネットで評判のリベルタシナジー(ダーカー)を購入し、41日プレーした。重量は166グラムくらいになった。ラバーは従来通りブライスハイスピード。数週間前に負けた人にも勝ったし、全勝だった。ただ、ラバーとの相性が良くないと感じた。ラケットは従来よりも弾むようだった。

 

 42日午前中にラバーを購入した。フォア「ラザンターⅤ47 ウルトラマックス」バック「キャリブラサウンド 得厚」今回は、ラケットの重量が軽いのでもっとも厚くて重いものを選んだ。ラザンターは発売したばかりだ。ラザンターを初めて打ったときめっちゃ弾んだ。これはすごいと思った。午後、古巣の松小クラブでうった。フォアドライブラブを打てばほとんど一発で決まるし、復帰後、最高の感覚だった。復活をきざしを感じることができた。

 

午後5時すぎに終わったのでそのままアスリエ言った。やる気と自信がみなぎっていたので、明日やる予定だったトレーニングを繰り上げてした。

 

 30分ロードバイクをやって、アスリエでできる範囲の下記トレーニングをした。

 デットリフト 70キロ × 20

 (フル)バーベルスクワット 70キロ×15

 ラウンジ 左右 70キロ× 7 × 2

 ラテラルスクワット 70キロ×10

 クリーン 40キロ × 10

 クリーンからスナッチ 30キロ×10

後必要なことは、実際の試合で結果とだすことだけた。一回でも納得いくような結果がでれば本当の自身がでると確信している。

 

 49日上尾でシングルの試合にでる。昨年は準優勝だった。

 

 416日は、県の団体戦 3部 である。県の団体戦は絶対にでたいと思っていた。手術に当たってこの試合に自分の納得のいくレベルまでもっていくのが目標だった。

 

司法書士 藤村和也

 

鍵盤断裂手術を経験して⑤ やらない努力の限界

通常であれば、何もしない方が楽だ。しかし私は逆だ。運動しないことが苦痛だ。トレーニングは苦しいから当然きらいだ。できればやらないにこしたことはない。

しかし、トレーニングを含めた運動しないと次の日とれも気分が悪い。締まりがなく、脂肪を感じる。これが嫌だ。術後、特に筋力トレーニングでは極力やらない努力をしてきた。しかし限界がきた。31日ゴールドジムにいって、下半身、左手のトレーニングをした。ゴールドジムは、マシンが多いので片手でもできるものがたくさんあるのだ。3週間くらいで見た目だけは大分変ることができた。当然、左右のバランスは悪い。

 121日の病院でのリハビリで2キロまでの右手のとレーニングが解禁された。翌日、ゴールドジムで3時間に渡るトレーニングをした。2キロくらいはなんてことはなかった。このころは、稼働範囲はほとんど問題のないレベルまで来ていた。つまらないインナーマッスルの強化の効果がでていた。この日を境に見た目の筋肉は変わって行った。自分で「見せるための筋肉、見せ筋」と言っていた。短期間で変わって行った。

 

24日に主治医の受診をした。筋肉トレーニング 今までどおりやっていい、卓球やっていい等ほぼ制限がなくなった。当然、いきなりはできないので少しづつやっていった。

司法書士 藤村和也

鍵盤断裂手術を経験して④ 噛みしめて仕事する

退院後は、後見関係は安定業務なのでもっぱらこちらをやっていた。退院後に受任した案件については一件一件噛みしめてした。入院中にできる仕事は限られていたので(メール等で事務員に指示していた)仕事を依頼してくれることが感謝しかなかった。幸い、昨年は売上的にはよかった。このような気持ちになったことは良かったと思う。

主治医の受診をした。結果、今までは内旋しかできなかったけど、制限が外れて外旋転のリハビリもできるようになった。この日からプールの他、ゴムでのインナーマッスルの強化にはげむようになった。アスリエの休館の29日、30日は籠原のプールに行ってインナーマッスルの強化をした。

 

司法書士 藤村和也

鍵盤断裂手術を経験して③

退院後も困難は多かった。鍋を食べるにもすくうことはできなかった。ロードバイクをやりにアスリエに行っていたが、車の運転や自転車も乗れない(こけると大変なので)ので母に送り迎えをしてもらった。年老いた母にしてもらうことに躊躇があった。

アスリエでは、やたらと小さくなった、短期間でこんなに落ちるんですね、屈辱的なことを言われ続けた。肩の稼働範囲はほとんど90度くらいしか上がらなかった。車の運転をあきらめるには十分だった。

128日退院後、初めて事務所に行った。パソコンを少し使用したが、すごく疲れた。とても満足に使える状態ではなかった。

1212日リハビリから帰って仕事に復帰した。母に送ってもらって事務員に送ってもらった。パソコンを使用することが本当に疲れた日々だった。長い時間はできなかった。

 

 右手には装具があった。手術後、1か月くらい経過すると装具なしでも大丈夫になった。外見上は、分からなくなった。

 

 もっぱらアスリエのプールで肩のインナーマッスルのトレーニングをした。腕をしずめて浮力で腕をあげるこれを繰り返した。結果、これが良かった。ときに一時間もやった。可動範囲は広がって行った。プールで泳いでいる人の姿をみるのがえらく辛かった。プールで被る帽子も自分一人ではつけることができなかった。

 

日常生活では、特に不便はしなくなったが、一番の苦痛は、着替えだった。Tシャツを脱ぐことは誰でも簡単にできることだが、これがきつかった。アスリエで着替えるときに5分以上も格闘したときあった。苦痛なしで脱げないので怖くてぬげないのだ。この状況は、1月初旬まで続いた。 

 

12月末くらいに卓球のラケットを振ってみた。痛くて全然ふれなかった。正直、もうだめかと思った。12月下旬車の運転を再開したが、左手だけの運転だった。エルミの駐車券が右手でとれないので下車して左手でとった。

司法書士 藤村和也

 

鍵盤断裂手術を経験して② 手術後

1118日鍵盤断裂再建手術後、全身麻酔が切れて起きると右肩に今までにない痛みが走った。最初に発した言葉は「足は、、、、」だった。足の腱を使用していないかの確認だった。「思ったより切れていなかった」と言われた。

 麻酔の影響だろうが、喉がカラカラで渇いていたが、水分補給はできなかった。午後4時すぎにトイレにいけるようになった。右手はとても動かせる状況ではなかった。左手で何もかもしなければならなかった。ベットから立ち上がるのも大変だった。晩御飯を食べるのも左手でスプーンだった。歯磨きも左手でした。以外とできると思った。ズキンと痛みは続いたが、夜には、アイフォンで動画を見ていた。

 

 痛みは、術後、24時間くらいで動かさない限り、なくなった。主治医の言ったとおりだった。翌日からリハビリが始まった。ただ、寝てるだけで医学療法士が動かしているだけだった。術後、装具(リンク参照)が始めて外れた瞬間だった。我慢できる範囲だが、結構痛かった。回復のためと思えばなんともないことだった。

 手術の翌々日にシャワーを浴びた。非常に気持ちよかった。ただ、装具をはずした後の着替えは結構痛かった。一人ではできなかった。シャワー中は、脇の下にペットボトルを挟んですれば痛みは軽減された。

 

 1121日、リハビリの部屋にあるロードバイクで合計1時間汗を流した。以後、日曜以外は、1時間利用した。

 

テレビは基本的には見ないようにした。ワイファイがあったので動画をアイフォン、アイパッドで見ていた。ティバーも利用した。見ていたテレビは、大抵、動画で見ることができた。

 

「逃げるは恥だが役に立つ」が評判が良いので最初はティバーで見て、最初の方は、動画で見た。アイフォンは小さいのでアイパッドで見た。はまってしまった。 

 

 

手術後、24時間は、痛みが大変だったが、その後の問題は「いびき」だった。手術後の隣のいびきは激音だった。ほとんど夜眠れなかった。数日後、部屋の移動させてもらった。部屋移動後、前よりましになったが、11月末くらいからほとんど夜眠ることができなくなった。隣のいびきだ。夜9時にはいびきが始まった。 

 

 1230日、シャワーが病院でできなかったので、駅前のネットカフェに行ってシャワーを浴びた。寝ようと思ったが、ここでもイビキでだめだった。123日もう寝れなくてだめだと思った。8時にネットカフェで寝るから外出許可がほしいと看護士に言うと9時まで待ってほしいと言われた。しばらくすると主治医が来て「退院する」と聞かれたので即答した。

  

 家で寝ると、嘘のように眠れた。9時という就寝時間もない。我慢していたものが外れたときだった。

 

司法書士 藤村和也

鍵盤断裂手術を経験して①

年の9月から卓球の後に右肩に違和感がでるようになりました。そういえば昨年のお盆に天井の電球の交換ができませんでした。整形外科に行っていましたが、改善されませんでした。

 

108日の北本市ステップアップリーグ戦の最終試合でものすごく痛みが走りました。1015日卓球したときに激烈痛かったので過去2回救ってもらった先生に受診する決意をし、通っていた整形外科に紹介状を書いてもらいました。次の火曜日に受診するつもりでしたが、先生が都合で出勤していなかったので1028日に見てもらいました。

 

その場で「鍵盤が働いてない レントゲン撮っていい」と言われたのでおかしいなと思いました。先生がレントゲンを見ると「手術かもしれない 腱が切れている可能性がある 骨に棘がある MRIをとって」と言われました。過去二回とは対応が違うのでこれは手術だなと思いました。切れた腱は自然には治らないとも言われました。

 

112MRIを撮って先生に見てもらうと「切れている」と言われました。温存療法の説明時に「もう一度卓球をしたいので手術します」と言いました。「痛いよ 3ヶ月で軽作業、6ヶ月で重労働」と説明を受けました。

 

1118日朝、先生に再度「痛いよ」と言われました。だから術後の痛みもこんなもんだろうと我慢できました。手術当日の夜に痛みがありましたが、iPhoneで動画を見ていました。

 

手術に当たってここ数年、優勝を含めベスト4にずっと入っていて、25歳からずっと参加していた吉見町卓球大会シングルスに棄権したことが、残念だった。

司法書士 藤村和也

2017年4月 4日 (火)

桜の季節

特別な季節、桜の季節がきた。桜は特別だ。わざわざ遠回りしてでも見たくなる。桜が恋しくなったのは司法書士になってからだ。登記の補正の電話があってムシャクシャしているときにかば桜をみた。

桜の季節は別れの季節。いつになく、寂しい。でもそれでいい。

藤村和也

2017年4月 2日 (日)

最後の言葉の意味

自分なりに最後の言葉の意味を理解できた。この時もう会うことはないことが決まっていたのだ。少なくとも後一回は会えると思っていた。この時は正直、あんなことは言われたことがなかったので感慨ふけってしまった。

「たくさんおしゃべりしてくれてありがとう」やっと最近意味を理解したようにきがする。「たくさん思い出をありがとう でももう会うことはないの これが最後なの」

随分時間がかかってしまった。一カ月くらいたってやっと分かった。そう理解したとき矛盾がなくなった。綺麗すぎる最後。

今は本当に一人でいたくない。苦しい。あまりに苦しいので昨日はアスリエに昼間に行ってしまった。

藤村和也

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